「自分だけのもの、をもつことの喜び」

fLion-(エフリオンマイナス)では、さまざまな商品を、オーダーメイドでもとりあつかっております。

 オリジナル商品、オーダーメイドにかかわらず、制作はひとつひとつハンドメイドです。大量生産品の普及は、生活コストを下げ、1970年代の高度成長期には「一億総中流階級」ともいわれました。現在は「経済格差」といわれつつも、多くの人々の生活は、家と大型量販店の往復、または大企業からの通販でなりたっています。それは見事に便利です。

 けれどもそこで得られる安価な大量生産品は、「壊れたら直して使う」「あるもので代用して何とかする」感覚を少なからずの人たちから奪いつつあります。「また、買いなおせばいいや」「失くしても、また手に入るだろう」という、実は何の根拠もない安心感の中で、僕らは日常を過ごしています。

 祖母は生前、モノを乱暴にあつかう僕に「作ったヒトの気持ちを考えんとアカン」とよく怒っていました。でも実は何でもありそうな現代で、「自分だけのオリジナルなもの」は、考えてみると驚くほど少ないんやなと感じることがあります。また買うがわ、売るがわのふれあいも減っています。鉄道は自動改札が無人駅になり、高速道路はETCになり、大手スーパーは自動レジになり、全国各地のかつてふれあいのあった、歴史ある商店街はシャッター通りと変化しています。美術品や工芸品を別として、生活の中で「自分だけのもの」を手にとれる機会やヒトとのふれあいはどんどん間接的になり、減っているような気がします。

 昔、柳宗悦が提唱した「用の美」という概念があります。ひとつひとつ手仕事で「使うヒト」「身につけるヒト」のことを考えながら、制作されたもの、生活の営為の中に「自分だけのもの」をふやしていくこと、モノを介在とした、その日、その時しかないヒトとのふれあいを、fLion-(エフリオンマイナス)という空間でふやしてみませんか。(kawato